大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和35年(行)13号 判決 1962年12月24日

原告

斎藤京子

被告

岩手県教育委員会

主文

原告の本件免職処分、判定処分の無効確認を求める請求を棄却し、右処分の取消を求める訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告岩手県教育委員会が原告に対し昭和三二年七月二三日付をもつてした免職処分及び被告岩手県人事委員会が原告の審査請求に対し同年一二月二三日付をもつてした判定処分がいずれも無効であることを確認する。もし右請求が容れられないときは、右各処分を取消す。訴訟費用は被告らの負担とする。との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。

一、原告は昭和二七年四月一日被告教育委員会により岩手県公立学校教員に任命され、岩手県立久慈高等学校教諭に補されたが、昭和三一年四月一日岩手県立摺沢高等学校に転任を命じられ、以来同校猿沢分校に勤務し家庭科を担当し教育公務員特例法三条により地方公務員の身分を有していたものであるところ、被告教育委員会は原告の勤務成績が不良である、他との協調性を欠き、言行に信頼がおかれず、自己を反省して改めようとする態度もみえない、教育の効果のあがらない等の事由を挙げ、地方公務員法二八条一項一号及び三号に該当するとの理由で、昭和三二年七月二三日付をもつて右規定による分限免職処分をした。

原告は右処分を不服として同年八月一六日被告人事委員会に対して右処分取消の審査を請求したところ、同被告は同年一二月二三日付をもつて、右処分を昭和三二年八月二四日付免職処分に修正するとの判定をし、その判定書は同年一二月二六日原告に送達された。

二、しかしながら、被告教育委員会の右免職処分は次の理由により違法無効なものであり、被告人事委員会の判定も被告教育委員会のいう処分理由を概ねそのまま認めたもので事実の誤認と法令の解釈適用を誤つた点において当然無効である。

(一)  原告は就任以来孜々としてその職務の遂行に努力してきたものであつて、被告教育委員会の挙示する処分事由は原告にとつて全く身に覚えのない捏造誇張による虚偽の事実である。原告は被告教育委員会より昭和三〇年三月三一日訴外青森県教育委員会より同年四月一日それぞれ高等学校教諭二級普通免許状を授与されているが原告は右免許状交付申請に当り、当時勤務中の岩手県立久慈高等学校長より、原告の勤務成績、教科指導、人物がいずれも優良であるとの証明書を交付されたのでこれを添付しており、右各委員会はこれに基き右免許状を授与したものであるから、被告教育委員会においても原告の勤務実績及びその教員としての適格性については右証明書に記載のとおり認めていたというべきである。このように事実を誤認してなされた処分が違法であることは多言を要しない。

(二)  仮に、被告教育委員会の挙示する事実が認められるにしても、がんらい地方公務員法二八条一項の分限処分は、教育基本法六条二項、一〇条、学校教育法九条、教育職員免許法五条などの法意に照し任命権者の自由裁量に委ねられているのでなく法規裁量に属するものであり、任命権者は単に分限処分の対象となる事実のほかその者の平素の行状、その年令、給与の多寡、その者が未婚の女性である場合にはその点等の附随的事情をも考慮して当該公務員がはたして分限処分に値するかどうか、これに値するとしてもその処分権を発動すべきかどうか、更に同法所定の各分限処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを慎重に決定すべきであるにかかわらず、被告教育委員会は本件において以上の点につきなんらの考慮をめぐらさず直ちに原告を右各分限処分中最も重い免職処分に付したことは感情に走つて甚だしく正義に反する過重の処分をなしたものというべく、結局、右処分は処分権者に委ねられた裁量権の範囲をこえた処分権を濫用したものとして違法であるといわねばならない。

(三)  被告教育委員会は原告に対し昭和三二年一〇月二一日付をもつて同月二三日送金払の方法により解雇予告手当二二、二四三円から過払給料の減額分一七、三五七円、所得税六九〇円、為替料など一一〇円、合計一八、一五七円を控除した四、〇八六円を支払つたが、原告には減額されるべき給料なく為替料を負担すべき筋合でもないから右減額は不当であるが仮にこれらの債務があるとしても労働基準法二〇条、一七条の規定などからして解雇予告手当金からの控際は許されないから同被告のなした右金員の支給は解雇予告手当支給の効力を生じない。

したがつて、同被告は原告に対し同法二〇条一項所定の、少くとも三〇日前の予告または三〇日分以上の平均賃金たる解雇予告手当を支払わないで原告を免職したものというべく、右処分は右条項に違反し無効である。

被告人事委員会はその判定において、被告教育委員会のなした即時解雇の免職処分を右条項に違反する無効のものであるとしながら、その通知が原告に到達した昭和三二年七月二五日から労働基準法二〇条所定の三〇日の予告期間を経過した同年八月二四日にはこれにより右処分は有効になるとして、前記のとおり免職処分を修正して維持する旨の処分をしたのであるが、右法条に違反する解雇は絶対的に無効で、使用者の意志如何により違法な即時解雇が適法な予告解雇に転換されるが如き解釈は許されない。仮にかかる解釈が許されるとしても、被告教育委員会は右免職処分後直に原告の出勤を停止し、給与の支払を断ち、後任者の銓衡をなす等同被告がとつた右処分後の諸般の措置はその意志があくまで即時解雇を固執するものと推察されるような事情のあることからして、違法の即時解雇を適法な予告解雇と解する余地もないといわざるを得ない。故に、被告人事委員会の右判定も法律の解釈を誤つたかまたはその認定を誤つた違法がある。

右の各違法はいずれも重大かつ明白な瑕疵に該当し、したがつて被告教育委員会の右免職処分及び被告人事委員会の右判定処分はいずれも当然無効であるから、原告はこれが無効であることの確認を求める。

三、仮に前記各違法事実が右処分の無効事由に該当せず、したがつてこれが無効確認を求める請求が理由がないとしても、右事実は取消事由に該当するから予備的に右各処分の取消を求める。なお、本訴は旧行政事件訴訟特例法五条所定の出訴期間を経過して提起したものであるが、これは原告が当初本件各処分の取消を裁判所に求めることを知らず、その後昭和三三年四月二〇日頃訴外三上幸一に関係資料、費用を託し本件各処分取消の訴を提起すべく依頼したのに同人がこれをしないで行方不明となり、更に昭和三四年四月一二日弁護士斎藤茂に右訴の提起を依頼したのに同人もまた委任にかかる訴を提起しなかつたため出訴期間を経過したものであるから、原告は本訴を法定の出訴期間内に提起することができなかつたことにつき正当の事由あるものである。

被告教育委員会の主張に対し次のとおり答えた。

同被告主張一の事実中、原告の久慈高等学校における勤務状況、原告が久慈高等学校から摺沢高等学校へ転勤した理由、猿沢分校の昭和三一年当時の生徒数及び原告の担当した全学年合併授業の実施曜日、同被告の命じた調査担任者らの原告に対する報告、復命の内容及びこれに基き同被告が認定した事実の内容は否認し、その余は認める。原告が摺沢高等学校へ転勤となつたのは、当時久慈高等学校においては教員の定員超過を来し家庭科担当教員一名が同校定時制または他校へ転出しなければならない事情にあつたからであつて、同校における原告の勤務成績等に関係のないことである。同被告主張の猿沢分校の生徒数は水増した過大な人員であり、一、二年生徒の合計数は七名であつた。なお、原告担当の全学年合併授業の実施曜日は金曜日とされていた。

証拠として、甲第一号証の一ないし四、第二号証、第三号証の一ないし六、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし一二、第六号証の一(同号証の二欠番)、同号証の三ないし八(第七号証の一ないし五欠番)、第七号証の六ないし一三、第八号証の一ないし四、第九号証の一、二、第一〇、一一号証、第一二、一三号証の各一、二、第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九、二〇号証の各一ないし三、第二一号証の一ないし二八、第二二号証の一ないし四、第二三号証の一ないし三七、第二四号証、第二五ないし三〇号証の各一、二、第三一ないし三三号証、第三四号証の一ないし三(第三四号証の一は第二三号証の二に、第三四号証の二は第二三号証の二六に同じ)、第三五号証の一ないし六、第三六号証欠番、第三七号証の一ないし四、第三八、三九号証の各一ないし三、第四〇号証の一ないし一一、第四一号証の一ないし六、第四二号証の一ないし一二、第四三号証の一ないし七、第四四、四五号証の各一、二、第四六号証の一ないし三第四七ないし四九号証の各一、二、第五〇号証の一ないし九、第五一号証、第五二号証の一ないし三、第五三、五四号証、第五五号証の一ないし四を提出し、甲第二三号証の二六、第三四号証の二、三の各記事欄は佐山亮一、斎藤裕が改ざんしたものである。甲第二四号証第二五ないし二九号証の各一、二は原告が猿沢分校勤務中作成したもので、昭和三七年二月下旬頃何人かによつて原告の留守中原告宅に届けられたものである。甲第五五号証の一ないし四は昭和三一年一月一日ないし三日に摺沢高等学校で開かれた文化祭の際佐山亮一が書き生徒作品につけた名札であつて、原告の関知しないものである、と述べ、証人小野寺貞雄、佐藤チヨミ、菊地誠之(第一回)加藤靖、新田康夫、菊地幹雄の各証言、原告本人尋問の結果(第一二回)を援用し、乙第一号証の一、第四、五号証、第七号証の一ないし三、第八号証の成立を認む、その余の乙各号証の成立は不知と述べた。

被告両名の各指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

原告主張一の事実及び同二事実中、被告教育委員会が原告に対しその主張の日高等学校教諭二級普通免許状を交付したこと、原告の右免許状交付申請に原告主張の学校長から交付されたその主張の内容の証明書が添付されていたこと、被告教育委員会が原告に対し、昭和三二年一〇月二一日付をもつて同月二三日送金払の方法により解雇予告手当二二、二四三円から原告主張のとおりの控除した残額四、〇八六円を支給したこと、被告人事委員会が原告主張の理由によりその主張のとおり免職処分を修正するとの判定をしたことは認めるが、青森県教育委員会が原告に免許状を授与したことは不知、その余は否認する。

予備的請求については、原告が法定の出訴期間内に出訴できなかつたことにつき正当な事由があるとして主す張る事実関係はすべて知らないが、原告の主張する期間徒過の事情は主張自体正当事由といえないから、本訴は不適法な訴として却下さるべきである。

被告教育委員会指定代理人は次のように述べた。

一、原告は昭和二七年四月一日岩手県立久慈高等学校教諭として採用されたものであるが、同校における勤務状況は悪く、生徒指導への熱意がなく、同僚の教職員との間も融和を欠き、教育効果があがらなかつたところから、同校長より本人のためにも心機一転させる意味で他に転出させてほしいとの意見申出があつたので、被告教育委員会では同事務局学校教育課長において昭和三一年三月原告を同事務局に召致し将来につき訓戒を与えたうえ同年四月一日付をもつて岩手県立摺沢高等学校猿沢分校に転勤させたのである。

右猿沢分校は昭和二五年四月東磐井郡猿沢に設置された定時制課程のみの分校で、原告が勤務していた昭和三一年当時教員三名、用務員一名の職員組織をもち、生徒数は一学年二〇名、二学年二〇名三学年一三名、四学年七名計六〇名であつた。そして同分校において原告は家庭科授業を担当し、昭和三一年度における原告の週担当授業時間数は、家庭科一、二年合併女子生徒一二名四時間(夜間)三年女子生徒三名(四年は女子なし)四時間(夜間)のほか、家庭科の授業時間数が少ないので全学年の合併授業を土曜日の昼間に行い、また大東町興田所在の同校興田分校において、家庭科二年女子生徒三時間(昼間)とされていた。ところが、昭和三二年に至り摺沢高等学校長から原告の右分校に転勤後現在に至るまでの勤務状態が依然として改まらないとして再度原告の他校転出方についてしかるべく配慮されたい旨の意見申出がなされたので、被告教育委員会では昭和三二年三月九日原告を事務局に召致して所管学校教育課高等学校係長が面接調査をなす一方同校長に対し原告の勤務状況等の報告を求めた結果、原告の勤務成績が依然不良であり、そもそも原告は教員としての適格性を欠くものと認められたので、同校生徒に対する教育効果及び他の教職員の活動意欲への悪影響を防ぐためにも直ちに原告を分限免職すべきものと思料されたが、原告にとつては重大な身分上の問題であるので、慎重を期し、同年四月三日再度原告を事務局に召致して事情を聴取し、さらに同年五月二三日学校教育課高等学校係長を同年七月一日学校教育課長及び同課高等学校係長をそれぞれ同分校に派遣し一度は原告にも面接して詳細な実情調査を遂げさせた。

しかるに、その結果は以上に掲げる同校長、分校主任はもとより調査担当者はいずれも全く一致して原告の勤務実績が不良でかつ教員としての適格性を欠くことの具体的事実を報告した。そこで、被告教育委員会は地方公務員法二八条一項一号及び三号に該当することを確認し、先ず原告に旨を含めて自発的退職を勧告したところ、原告はいつたん退職願を提出しながら後日これを徹回したため、やむなく原告を右規定に基く分限免職した次第である。

二、原告に対する免職事由を具体的に示せば次のとおりである。

(一)  勤務成績が不良である。

原告は同校から一〇〇米ほどの距離に居住し校長分校主任から勤務しない場合はあらかじめの承認を得るよう再三注意されながらこれに従わず昭和三一年において無断欠勤したことが六回一〇日に及んでおり、また同分校の勤務時間は午後二時半から午後一〇時までと定められ、他の教職員はこれを守つているのに原告のみは授業開始前後の六時から六時半に出勤することが多く、年間を通じて遅刻の回数は無数というも過言ではなく、また自分の授業が終れば勤務時間中でも無断で帰宅することが多かつた。

例えば昭和三一年一〇月一二日同校大原分校で校内定時制研究協議会が開催された際、猿沢分校主任は全職員がこれに出席するように指示していたのにかかわらず原告のみは故なく欠席し、同年一一月一一日猿沢分校が当番校となつて校内定時制弁論大会を開催した際、原告は当日午前七時から大会の準備接待を命じられていたのにこれを怠り迎えをうけて午前一〇時頃出勤し、また昭和三二年四月一一日の猿沢分校入学式の際原告は生徒に午前八時頃登校するよう指示していながら自らは来賓が来校しても出勤せず、生徒の再度の迎えをうけてようやく出勤し式場設営などには参加しなかつたが、これに類した事例は多々あつた。更に授業などにも熱意がみられず女子生徒に対して土曜日の昼間にも授業を実施するよう命ぜられていたこと前記のとおりであるのに、昼間授業を実施したのは年度を通じ僅か四日にすぎず、また校内雑務にいたつては殆んど手を下す意欲をもたなかつた。そのため僅か三名の猿沢分校では原告の無断欠勤、遅刻早退により受ける支障にしばしば困惑せざるを得なかつた。

(二)  教育効果があがらない。

昭和三一年一一月一日から三日間摺沢高等学校本校で開催された校内全日制定時制合同の文化祭の一行事であつた生徒作品展示会に、原告は生徒の作品でもないものを生徒の作品としてその名前を付して出品陳列したが、このためその生徒は羞恥と困惑を覚え父兄その他地域住民は学校に対する不信感を抱くにいたつたこともちろんである。また昭和三一年九月中旬頃前記文化祭作品展示会の出品物の購入材料代の支払をめぐつて原告と三年女子生徒全員の間に感情的対立が生じた結果、当該生徒は出品物の製作を拒みかつ数日にわたり原告の授業を受けなかつたのであるが、原告はこの事態を他の教員に知られることを恐れてか右の三年女子生徒の授業時間にはあたかも平常の如く装い教室に赴き授業時間の終りに職員室に帰るという隠蔽的態度に終始しこの間積極的に問題解決に努力せずこの状態を分校主任にも報告せず放置した。また前記のとおり原告の実施した授業時間として割当てられた時間数よりはるかに少なく、また生徒に対する指導態度においても生徒に注意を与えるのに注意の域を逸脱した不穏当の言辞を用いることが多く、一方的に自己の言いたいことを言いまくるという調子であるため、生徒は最初は原告の授業を忌避していたが、後にはどうにもなれという原告の授業時間における黙殺的態度となり、その結果教師と生徒間にあるべき相互信頼が失われたため原告の教室では些細な原因で教員と生徒の区別のない口論が繰返えされるという概嘆すべき事態がしばしば現出していた。

したがつて、原告の教育行為には全体として教育的効果を期待しがたいばかりでなく、むしろマイナス面が強く、特に生徒の指導訓育面においては全く有害であつた。

(三)  他との協調性を欠いている。

原告は偏狭で平常他人の言には全然耳をかさず何事にも自己を絶対正しいものとして強く自己主張をするような態度であつたため同僚職員すらなるべく原告との接触交際をさけるようにしていた。

校長、分校主任が原告の非や誤りを指導的立場から好意的に注意しても常に悪意に解し一言に対し百言をもつて抗弁する有様で、僅か三名の専任教員で運営する分校では職員一同原告の取扱いには困惑していた。

(四)  言行に信頼がおかれない。

原告は嘘を平気で言い、先に言つたことと後から言つたことと全く違うこと多かったので同僚職員や生徒らから信頼されなかつた。例えば原告は同分校備付の学校日誌中当直者である他の職員が記載した、斎藤教諭欠勤、の記事を欠勤でないとして二ケ所にわたり勝手に変造更改し、これが発覚して上司に注意されても何かと抗弁して非を認めようとせず、また前記生徒作品展示会に生徒の全く関知しない作品を生徒の作品としてその名前を付して出品して物議をかもし、更に昭和三二年三月頃原告が女子生徒から授業を拒否された事件が問題化しそうになると、生徒らに対し被告教育委員会等から聞かれたときはそのようなことはなかつたと答えるよう指示する等これに類する事例は乏しくないのである。

(五)  自己を反省して改めようとする態度がみえない。

前記のように偏狭で他人の言に全然耳をかさない原告の態度はおのずから上司の注意に対してもただ抗弁につとめるだけで自己反省のない言動となるのが常で、いまその二、三を例示すると、原告が前記学校日誌を変造更改したことにつき分校主任から注意されても、一度学校に来てから出かけたので欠勤にならない、と強弁し分校主任、他の職員が当日原告が来たのを見なかつたというと、二人とも居ないとき来た、などと言い張り、また昭和三一年六月一六日原告が任地外に私用旅行するというので、分校主任が離任地旅行願を出すように注意すると、後で出す、日程が未定だ、それ位大目にみてもいいではないか、分校主任は同僚だから何も命令指示をうける必要はない、等と述べ、果ては認めて貰わなくてもよい、明日本校によつて校長、定時制主事の許可をうけて行く、と称し右旅行願を出さないまま本校にも行かず右旅行したこともあつた。

三、そこで被告教育委員会は右、(一)、(二)の事実から原告の勤務実績は極めて不良であり、右(一)ないし(五)の事実を総合して原告が教員としてその職に必要な適格性を欠くものでありこれ以上原告を教員にとどめることは同校における教育効果及び他の教職員の教育意欲を減殺しひいては地域の学校に対する信頼を損う結果となることが明らかであつたので、止むなく地方公務員法二八条一項一号、三号職員の分限についての手続及び効果に関する岩手県条例に基き本件免職処分に付したものである。

なお、原告は被告教育委員会より原告主張の免許状を交付され、また免許状交付申請に原告主張のような内容の証明書を添付していることにより原告が勤務成績優良で教員の適格性があるというが、右証明書は原告が摺沢高等学校に転任する一年前の昭和三〇年三月三一日久慈高等学校在勤中に当該学校長が作成したものであり、しかも事実は原告の勤務実績、教育効果等が決して満足できないものであつたにかかわらず同校長は免許状取得の必要に迫られている現職者に対する親心からその取得を助けるためことさら事実を紛飾した表現を用いたものであり、被告教育委員会も右の事情を知りつつ原告の将来を考えて免許状を授与したものである。したがつて、右証明書記載の最上級の形容詞はその表現に該当する実質があることを意味するものでないことは前示事実と当該証明の一般的慣行に鑑み容易に首肯できるところである。

なお原告を免職したのは、主として摺沢高等学校における勤務実績等が地方公務員法二八条一項一号及び三号に該当すると認めたからであつて、久慈高等学校における勤務実績などによつて免職したものではない。

四、被告教育委員会が昭和三二年七月二三日付をもつて行つた右免職処分は被告岩手県人事委員会により同年一二月二三日解雇予告をしなかつた故をもつて同年八月二四日付免職処分に修正判定されたので、その勤務しなかつたことにつき承認を得なかつたものとして支給しなかつた同年六月二九日、同月三〇日及び七月分の給料一八、一八九円並に八月二四日までの同月分給料一三、三七二円及び八月一日支給日の同年寒冷地手当及び薪炭手当一一、一九四円合計四二、七五五円を原告に支給した。よつてその後この点についても原告主張の違法は存在しない。

被告人事委員会指定代理人は次のとおり述べた。

被告人事委員会は原告からその主張のような免職処分につき地方公務員法四九条に基く審査の請求があつたので不利益処分の審査に関する被告人事委員会規則に基づいて審理した結果、摺沢高等学校猿沢分校における原告の勤務実績及びその人物は地方公務員法二八条一項一号及び三号に該当することを認めたので、被告教育委員会の原処分はこの点においては取消すべき理由がないと判定したのである。ただ審理の結果被告教育委員会は原告が当時主張しなかつた労働基準法二〇条の解雇予告をしなかつた違法があることを発見したのでこの点を是正するため原告主張のとおり教育委員会の処分を修正したのである。

なお原告は被告教育委員会への免許状交付申請に添付されたその主張の証明書を根拠に判定の事実誤認をいうが、右証明書に最上級の評価を記載することはかかる場合の慣習的な取扱にすぎず、必ずしもその表現に該当する事実が存在することを意味するものではないし、ましてその証明事項は被告人事委員会の判定の対象となつた原告の勤務と関連のないものである。

証拠として、被告両名の各指定代理人は、乙第一号証の一ないし三、第二ないし六号証、第七号証の一ないし三、第八号証、第九号証の一ないし一八、第一〇号証の一ないし三を提出し、被告教育委員会指定代理人は証高橋人久雄、斎安兼蔵、佐山亮一(第一、二回)、小野寺貞雄、菊地誠之(第一回)の各証言を援用し、被告両名の各指定代理人は、甲号証の成立の認否につき、甲第一号証の一ないし四、第二号証第三号証の一ないし三、同号証の五、六、第五号証の一ないし一二、第六号証の一、同号証の三ないし八、第七号証の六同号証の八、同号証の一〇ないし一三、第八号証の一、第一九号証の三、第二〇号証の三、第二一号証の一ないし二八、第二三号証の一ないし二五、同号証の二七ないし三七、第三三号証、第三四号証の一、第三五号証の一ないし六、第三七号証の一ないし四、第三八三九号証の各一ないし三、第四〇号証の一ないし一一、第四一号証の一ないし六、第四二号証の一ないし一二、第四三号証の一ないし七、第四四号証の一、二、第五一号証、第五二号証の一ないし三、第五三、五四号証の成立を認む、第四号証の一ないし三、第八号証の二ないし四、第九号証の一、二、第一〇、一一号証、第一二、一三号証の各一、二、第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証第一一号証の一、二、第一八号証、第一九、二〇号証の各一、二、第二二号証の一ないし四、第二九、三〇号証の各一、二、第三一、三二号証、第四五号証の一、二、第四六号証の一ないし三、第四七ないし四九号証の各一、二、第五〇号証の一ないし九、第五五号証の一ないし四の成立は不知、第三号証の四、第七号証の七、同号証の九、第二四号証、第二五ないし二八号証の各一、二の成立は否認第二三号証の二六、第三四号証の二、三のうち各記事欄を除く部分の成立を認む、各記事欄は原告が改ざんしたものである、なお甲第二四号証、第二五号ないし二八号証の各一、二は正規の様式により作成された公簿ではなく原告が偽造したものである、と述べた。

理由

一、原告は昭和二七年四月一日被各教育委員会より岩手県公立学校教員に採用され、同日同県立久慈高等学校教諭に補せられたが、昭和三一年四月一日岩手県立摺沢高等学校教諭に転任を命じられ、以後定時制課程である同校猿沢分校に勤務していたものであつたところ、被告教育委員会が、原告の勤務成績が不良で教育効果があがらない、その平素の勤務状態は、他との協調性を欠き、言行に信頼がおかれない、自己を反省して改めようとする態度がみえない等の諸点を挙示し、これらに基き原告が地方公務員法二八条一項一号(勤務実績が不良である)三号「その職に必要な適格性を欠く)に該当すると判断して昭和三二年七月二三日付をもつて原告を右規定による分限免職処分に付したこと原告が右処分取消の審査請求をしたところ、被告人事委員会が同年一二月二三日付をもつて、右免職処分を同年八月二四日付免職処分に修正するとの判定をしたことは当事者に争いがない。

二、先ず、原告教育委員会が挙示する以上の事実はすべて捏造、誇張による虚偽のもので、前記免職処分は事実上の根拠を欠く違法があると主張するので、以下被告教育委員会の挙示する事実の存否について判断する。

(一)  原告の勤務実績

(1)  昭和三一年度間において無断欠勤六回一〇日に及び遅刻早退が多かつたとの点について。

成立に争いのない甲第二号証、第六号証の一、同号証の三ないし八方式及び趣旨により公文書たることが明らかであるからその成立を推認し得る乙第九号証の一、二及び五によると、原告は昭和三一年六月一六日、同月一八、一九日、(同月一七日は日曜日)、同年一〇月一二日、同年一一月一五、一六、一七、同年一二月一七日、昭和三二年一月七、八日の一〇日間勤務をしなかつたことが認められるが、さらに以上の証拠によれば岩手県公立学校教員は一般に夏冬二回の休暇をもつて年次有給休暇に代える慣行があり、摺沢高等学校でも校長は教員から年次休暇の申請があつてもその承認を与えず病気の場合には、職員の有給休暇に関する規則(岩手県人事委員会規則第二八号)第四条所定の病気休暇の承認を求めることとなつていたところ、原告が前示のように勤務しなかつたことにつき原告よりいずれも病気を理由とする病気休暇承認申請書が提出され同校長よりその承認の与えられていることを認め得る。もつとも前記乙第九号証の五、証人佐山亮一(第一、二回)、安斎兼蔵の各証言による上京のため勤務しなかつたのであり、しかも右いずれの場合にも事前に校長、分校主任への届出さえなく、右同日の右休暇承認申請書もたまたま右事実を知つた同校校長が後日に至り指示して原告に提出させて病気休暇として承認を与えたものであることが認められる。

次に前記乙第九号証の五及び方式趣旨により公文書たることが明らかであるからその成立を推認し得る乙第九号証の一、六ないし一一一四、一五、証人佐山亮一(第一回)、安斎兼蔵、小野寺貞雄、佐藤チヨミの各証言によると、猿沢分校における教職員の勤務時間は同校長の権限により午後二時半より午後一〇時までと定められていたが、原告は定刻より遅く出勤することが多く、その回数は昭和三一年六月から一一月頃までの間に勤務日数の半ば近くを数え、ことに昭和三二年四月一一日の入学式には二回にわたる生徒の迎えをうけてようやく定刻におくれて出勤したという事実もあり、また原告が右分校勤務中勤務時間中無断で早退したこともたびたびあつたこと、同分校は在籍生徒数六〇名くらいで専任教員は原告を含めて三名しか配置されない小規模校であるため、以上のような原告の勤務状況により同分校の蒙る学校運営上の支障は少なくなかつたことが認められる。もつとも成立に争いのない甲第七号証の六、八、九ないし一三、第八号証の一、第三五号証の二ないし六、方式および趣旨により公文書たることが明らかであるからその成立を推認し得る甲七号証の七、九(以上教職員勤務状態報告書)には、原告に遅刻早退のないとの記載があるが、証人佐山亮一の証言(第一回)によると、右のとおり当時の猿沢分校は原告を含めて僅か三名の専任教員で運営されていたため教員間の融和を考え、原告の遅刻早退を遂一前示報告書に記載しなかつたことが窺われるので、右甲号各証は前記認定を左右するものではない。

(2)  土曜日に家庭科の昼間授業を実施するよう命ぜられていたのに年度間を通じ僅か四日しか実施しなかつたとの点について。

前示乙第九号証の二、五ないし一一、一四、一五方式及び趣旨により公文書たることが明らかであるからその成立を推認し得る乙第九号証の一、一二、一三、一八、証人佐山亮一の証言(第一回)によると、摺沢分校では家庭科の授業時間数が正規の夜間授業のみでは十分でないところから、生徒父兄らの要望もあり従前より正規の夜間授業が保健体育である関係から生徒の疲労度が低い土曜日を選んで昼間の全学年合併の家庭科の授業を実施しており、原告も就任当時分校主任よりその実施を指示されていたところ原告は昭和三一年四月二八日、(土曜日)、同年五月四日(金曜日)、同年一〇月二八日(日曜日)同年一二月一五日土曜日の僅か四日しか昼間授業を実施せずそのことが原告の職務上の義務違反になるかどうかは別として少くとも生徒の指導訓育に対する熱意を欠く態度を示したことが認められる。甲第四号証の一、二、第二七号証の二、第三七号証の一ないし四、第三八、三九号証の各一ないし三の記載中の認定に反する部分はその記載内容自体虚偽のものと認められるので採用の限りでない。

(3)  さらに弁論の全趣旨によりその成立を認める甲第八号証の二、三、前示乙第九号証の五ないし一一、証人佐山亮一の証言(第一回)によれば、原告は右分校勤務以来その顕著な主我的性格に禍いされ原告の授業を受ける各学年生徒らから次第に反感を持たれたり疎まれたりすることが多くなつていたところ、昭和三一年九月頃同年一一月一日から三日間摺沢高等学校本校において開催される全日制定時制合同の文化祭展示会への家庭科関係出品物の製作を指導するため、三学年の女子生徒らにその所要材料の購入をあつせんしたが、原告が注文をとりまとめるときには、代金は分割払でよい、としながら、現品を渡す際には代金を明日持参するように言い、その後再三生徒にその請求をしたうえ、教室で生徒に向つて職員室では授業料も払えないのにこんなに高いものが払えるかと他の教師が話している。などと放言し、これに憤慨した右生徒らは右材料を原告に返すとともに原告に対する不信と反感から右文化祭前後にいたつてこぞつて原告の授業を拒否してその授業時間には講堂等で自習等をして時間を過すようになり、そのような事態は分校主任の説得等により収拾される同年一二月初め頃まで継続したこと、ところがこの事態に処した原告の態度たるや右の事実を校長分校主任らに報告せず、ただ平常どおり授業を行つているように装うばかりで問題解決に何らの努力も払わず、教師として無責任なものであつたことが認められる。さらに前示乙第九号証の一一及び方式及び趣旨により公文書であることが明らかであるから真正に成立したものと推認すぺき乙第九号証の一、一六によると、昭和三二年四月中旬頃同分校の教員室に一人の男子生徒が来てたまたまそこに居合わせて原告と話し合つていた女子生徒に向つて冗談を言つたところ、原告はこれを自分に向つて言われたものと誤解し、「高校に何しに来た、もう一度小学校からやり直してこい、あなたのような人を出してくる両親も程度がわかる。あなたのような人がくると他の皆もわるくなる、就職することもできないからもう学校に来ない方がよい。」等と甚だ教育的でない言辞を奔して同生徒を悪罵したことが認められる。甲第二四号証、第二五号証の二には右認定に反する記載があるが、右甲号右証はその記載内容自体及び証人菊地誠之、佐山亮一の証言(各第二回)に照しいずれも原告が免職処分後作成した内容虚偽のものであると認められることからして、とうてい証拠として採用できないものである。

原告本人尋問の結果(第一、二回)中、以上認定の各事実に反する部分はその供述内容自体からして、また前認定の際それぞれ示した各証拠と対比していずれも信用できず、ほかに前記認定を左右するに足る証拠はない。

そこで以上認定の(1)ないし(3)の事実を総合すると、原告の右分校における勤務状況は地方公務員法二八条一項一号の勤務実績が良くない場合に該当するものというべきである。

(二)  教育公務員としての適格性

(1)  文化祭展示会に生徒の作成しないものを生徒の作品として陳列したとの点について。

前示乙第九号証の六、七、九ないし一五、証人佐山亮一の証言(第一、二回)によれば、原告は前記文化祭の行事として行われた本校における生徒作品展示会において家庭科関係の出品を指導するに当り、事前に同校三年生及川かん子、同二年生村上寿枝、同小野寺怜子、一年生栃沢敬子、同及川英子らに対し出品物に名前を借りるから人に聞かれたら自作品であると答えるよう言いつけ右生徒の作成しない訪問着刺しゆうなど数点に製作者としてその氏名を付して出品陳列したため、右生徒らをして公開の会場において内心の差恥と困惑に堪えられない思いをさせたことが認められ、さらにこのことが父兄並びに地域住民の話題となつて同分校全体への不信感がかもさるれに至つたことも察するに難くないのである。証人佐山亮一(第二回)の証言及び右証言により成立を認め得る甲第五五号証の一ないし四(いずれも名札)によれば、右文化祭の際右出品作品に付した各名札は同分校主任佐山亮一が書いたことを認め得られないが、そうであるとしても右証人の証言によれば同人は原告の依頼により単に右名札のみを代書してやつたにすぎないものと認め得られ、いまだ右事実は前認定を覆すに足らないものである。

(2)  学校日誌を改ざんしたとの点について。

前示乙第九号証の二、五ないし七、証人佐山亮一の証言(第一、二回)に学校教育法施行規則一五条一項二号の趣旨を参酌すると、猿沢分校備付の学校日誌は日々生徒の出欠席数、教員の出欠勤等の所要事項を当日の当番教員において記入する定めであるが、右日誌のうち昭和三一年六月一六日(甲第三四号証の二)、同年一一月一五日(同号証の三)の各記事欄には、前示のように右同日いずれも原告が勤務しなかつたことにつき各当日の日直者である同文校「斎藤教諭欠勤」と記入したところ、原告は後日公文書である右日誌の記載をほしいままに抹消したのみならず、その後更に右各記事欄のうえに同質の紙を貼付して右の記載を判読不能にしたこと、しかも原告はその後右の行為につき分校主任佐山にその不当を難詰されるやその事実もないのに当日朝学校に来たから欠勤ではないと強弁したことが認められる。

(3)  以上に認定したすべての事実に方式及び趣旨により公文書たることが明らかであるからその成立を推認すべき乙第二、三号証前示第九号の五ないし一六、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一〇号証の三、証人佐山亮一(第一回)、小野寺貞雄、安斎兼蔵の各証言によると、原告は強固な性格の持主ではあるが、他方において自己中心的性質が異常に強い欠点があるために極端に他との協調性を欠いていたこと、その結果として原告は自己の言動が周囲の他人に及ぼす心理的反応について甚しく鈍感かつ無関心である反面、ひとたび他人の非難叱責にあうやひたすら自己を防禦することにのみ急となりそのためには無恥な虚言も敢て辞せず自らを顧みる態度をとり得ないものであること、原告はこのような不幸な性質に禍いされてすでに久慈高等学校在勤中にも同僚生徒らとの間に不和摩擦を生じその指導に困難を感じた当時の同校々長が被告教育委員会に原告を他校へ転出させるよう申出たため被告教育委員会はこれに反省の機会を与えるため猿沢分校勤務となしたものであること、しかるに原告は右分校勤務後も幾許もなく再び上司同僚らと疎隔反目するに至つたばかりでなく、生徒指導への熱意を欠きあるいはその職務を怠り、さらに恬然として前示のような教職にあるものとしてふさわしくない非行を敢てしており、もつて原告に対し同校生徒や父兄らの目するところが奈辺にあるか察するに足るものである。このことは、弁論の全趣旨によりその成立を認める甲第一三号証の一、二、第一四号証、第一五証の一、二、第一六号証、証人佐山亮一の証言(第一回)により認められる。原告が被告人事委員会の審査の際自己に不利な証言をしたかつての生徒らに対し、昭和三五年一月頃右証言を訂正して貰いたい旨説いて廻り、拒否されると同年二月一九日頃右生徒らは右証言が誤である旨を原告に告白したとしてその旨同生徒らに通知するとの内容証明郵便を送るなど常軌を逸した行動からも窺知することができるのである。

原告本人尋問の結果(第一、二回)中、以上認定の各事実に反する部分は、その供述内容自体からして、また前記認定の際そそれぞれ示した各証拠と対比していずれも信用できず、ほかに前記認定を左右するに足る証拠はない。

そうだとすると、原告は教育公務員として人格的に地方公務員法二八条一項三号にいうその職に必要な適格性を欠くものがあるといわざるを得ない。

原告は被告教育委員会等に対する高等学校教論二級普通免許状交付申請に当り在籍学校長より原告が実務、教科、人物ともに優良であるとの証明書を交付されていることからしても、原告が教育者としての適格性を有することが明らかである旨主張する。原告が昭和三〇年三月三一日教育職員免許法施行法二条一項七号により被告教育委員会より高等学校教諭二級普通免許状を授与され、またその交付申請に際し当時教諭として勤務中の久慈高等学校長より原告の勤務成績、教科指導、人物がいずれも優良であるとの証明書を発行交付されていることは当時者間に争いがなく、方式及び趣旨により公文書であると認められるから真正に成立したことを推認し得る甲第二二号証の一ないし四によると原告は昭和三〇年四月一日青森県教育委員会からも右と同様の免許状を交付され、かつその申請に右と同様の同年三月二五日付右校長作成の前同様の趣旨の右委員会に対する申請書または証明書の発行を受けたことが認められる。

以上の事実に教育職員免許法六条、七条及び教育職員免許法施行法二条一項七号の趣旨を参酌して考えると、右各委員会とも原告の人物及び実務を右証明書または内申書記載のとおりと認めたものといわねばならない。しかし成立に争いのない甲第一号証の二ないし四、前示甲第二二号証の二ないし四、前記乙第一〇号証の三によると、右証明書は本件免職処分の二年以上も前である昭和三〇年三月に作成された久慈高等学校在職中のものであるばかりでなく、原告の人物及び実務に関する右作成者の真の評価が右各文書の記載と異り、当時までにその性格成績ともに問題があつて同校長は原告の他校への転出方を被告教育委員会に要請していたにもかかわらず、原告の免許状取得を容易ならしめようとの配慮から事実に反する右記載をなしたものであることが窺われるから、これらの事実は原告の猿沢分校における勤務実績が不良で教育公務員としての適格性を欠くものであるとの前記認定を妨げるものではない。

以上説示の理由により、被告教育委員会の本件免職処分及び被告人事委員会の本件判定処分が捏造誇張による虚偽の事実によつてなされたとの原告の主張は全くその理由がない。

三  原告は、仮に被告教育委員会挙示の処分事由とした各事実が存在し原告が地方公務員法二八条一項一号、三号に該当するにしても、本件免職処分は裁量権の限界をこえ、処分権の濫用として違法であると主張するので考えるに、当該公務員に前記規定所定の分限処分事由が存在する場合にこれを分限処分に付するに値するかどうか、分限処分のうちいずれを選ぶべきかを決定することは任命権者の自由裁量に属するのであつて、ただ分限処分が全く事実の基礎を欠くかまたは処分権の発動及びその内容が社会観念上著しく妥当を欠くような場合にはかかる処分は任命権者に委ねられた裁量権の限界を越したものとしてまたは裁量権の濫用として違法となると解すべきところ、前示措信しない証拠を除く本件に顕われた全証拠によるも、本件免職処分に右のような裁量権の限界を踰越したりこれを濫用したと認むべき事情は全く認められないのみでなく、成立に争いのない乙第一号証の一、第四号証、方式及び趣旨により公文書たることを認め得るから真正に成立したものと推認すべき乙第一号証の二、三、第二、三号証、第九号証の三、四、証人安斎兼蔵、高橋久証言を合せ考えると、被告教育委員会はしばしば摺沢高等学校長より原告の指導困難を理由とする他校への転出方意見申出をうけていたので、昭和三二年三月九日原告を同委員会事務局に召致し同局学校教育課高等学校係長をして原告の面接調査をなさしめ、更に右校長を通じ分校主任より原告の勤務状況等の報告を徴したところ、原告が勤務成績不良で教員として適格性を欠くものと考えたが、その処分については慎重を期し、同年四月三日再度原告を召致して事情を聴取し、同年五月二三日前記高等学校係長を現場に派遣して原告らにも面接させ同年七月一日再び学校教育課長及び前記高等学校係長を現場に派遣して詳細な事実調査を遂げる等事の重大性にかんがみ慎重な調査配慮のもとに本件処分を行つたものであること、同委員会は前示のとおりさきに原告の反省を促すべくこれを前記久慈高等学校から摺沢高等学校に配置換えしたばかりですでに配置換えによる指導方法を考慮する余地はなかつたことを窮うことができるので、原告の前記主張もとうてい採用できない。

四  原告は本件免職処分、判定処分が労働基準法二〇条に違反すると主張するので考えるに、被告教育委員会が原告を免職するに当り解雇予告手当二二、二四三円から給料の既払分、所得税、為替料など合計一八、一五七円を控除した残金四、〇八六円のみを原告に支給したことは当時者間に争いがないところ、がんらい同条の規定する解雇予告手当の制度は解雇される労働者に次の就職までの間一定期間を限つてその生活を保障し、その求職のため最小限度の便宜を与える趣旨に出たものであるから、使用者が被解雇者に対して反対債権を有する場合においても、これと相殺した残額のみを支給することは許されないから、同被告の右解雇予告手当の支給は適法な支給としての効力を生じないし、かつ同被告が三〇日前に解雇予告をしなかつたことは当時者間に争いがないので、本件免職処分は少くとも当時労働基準法二〇条の規定に違反する違法無効な処分であつたことが明らかである。そして被告人事委員会が前記判定に当り、右免職処分がこの点において違法であるとしつつ、かかる免職処分でもその処分が原告に通知された日から三〇日を経過した後には適法な予告解雇と同一の効力があるとして、右の昭和三二年七月二三日付免職処分を同年八月二四日付免職処分に修正したことは当事者間に争いがなく、原告は右法条についての被告人事委員会の見解を争うのであるが、使用者が同法二〇条所定の予告期間をおかず、または予告手当の支払をしないで労働者に解雇の通知をした場合、その通知は即時解雇としては効力を生じないが、使用者が即時解雇を固執する趣旨でない限り、通知後同条所定の三〇日の期間を経過するか、または通知の後に同条所定の予告手当の支払をしたときは、そのいずれかのときから解雇の効力を生ずるものと解すべき(最高裁判所昭和三〇年(オ)第九三号昭和三五年三月一一日第二小法廷判決参照)ところ、原告が昭和三二年七月二五日本件免職処分の通知をうけたことは成立に争いのない乙第五号証により明らかであり、被告教育委員会が即時解雇を固執する趣旨でないことは本件における同被告の主張自体により明白であるから、右通知後三〇日を経過した同年八月二四日本件免職処分はその効力を生じたということができる。それゆえこれと同旨の本件判定には何ら違法の点はない。したがつて原告の前記主張も採用できない。

五  そうだとすると、被告教育委員会のなした本件免職処分には原告主張の如き違法は存しないから同被告に対し右処分の無効確認を求める請求は理由がないものとしてこれを棄却すべく、また被告人事委員会の前記判定も原告主張の違法事由が認められない以上、同被告に対し右判定処分の無効確認を求める原告の請求も失当として棄却すぺきである。

六  次に予告的請求(取消請求)の当否について判断する。

原告が昭和三二年一二月二六日被告人事委員会より判定書の送達をうけ同日これを了知したことは当事者間に争いがないところ、本訴の提起が昭和三五年九月二二日であることは記録上明白であるから、本訴は行政事件訴訟法附則三条但書、旧行政事件訴訟特例法五条四項、一項により原告が本件判定処分を了知した昭和三二年一二月二六日から六ケ月の出訴期間経過後に提起されたものであることは明らかである。

ところで、原告は、原告が本件各処分の取消を裁判所に提訴できることを知らず、かつ昭和三三年四月二〇日頃三上幸一に、昭和三十四年四月一二日弁護士斎藤茂にそれぞれ右取消の訴提起を依頼したにもかかわらず右の者らがこれを懈怠したため法定の出訴期間である一年内に出訴することができなかつたのであり、右の事情は出訴期間徒過の正当な事由に当ると主張するのであるが、原告が本件判定処分を了知したことを認められる以上本訴の出訴期間は前記行政事件特例法五条一項の規定によるべく同条三項の規定によらないことは先に説示のとおりであり、したがつて右正当事由に関する同項但書の規定もまたその適用のないことが明らかであるから、原告の主張は採用できない。もつとも右五条一項の出訴期間についても訴訟行為追完に関する民事訴訟法一五九条の規定は適用があるが、本件の場合原告がその出訴期間徒過の事由として主張するところはその主張自体右一五九条の場合には該当しないことが明らかである。

いずれにしても、右訴は不適法として却下すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例